●9代理事長 黒澤 久(H27年5月~ )

埼玉県鍍金工業組合は、戦後、産業の急成長を遂げた昭和30年代後半、産業公害が社会問題化し、鍍金業界においては工業廃水問題がクローズアップされてきました。昭和33年には工場排水法が制定され公害防止対策の整備が、企業経営の最大の課題となりました。
この課題に対処する為埼玉県内の鍍金業者が一体となり昭和41年に埼玉県鍍金工業組合が設立されました。
その後も、環境保全に対するいろいろの規制が制定されその対応に全国鍍金工業組合連合会と共に今日まで取り組んでおります。
現在に至るまで、私ども組合を育てて頂いた諸先輩の皆様の功績に改めて深い感謝と御礼を申し上げさせて頂きます。
私共組合の大きな事業の一つは環境対策の排水分析事業があります。専門スタッフにより計量証明書を発行し排水事故防止はもちろんですが、公的機関をはじめとしてお得意様など対外的な証明書として充分可能となっています。
そして、福利厚生事業は環境測定、特殊健康診断、グループ保険をはじめとして各種保険を取り扱い組合員の福利厚生向上に務めております。
更には、埼玉県産業振興公社主催の県内を代表する企業が参加する埼玉ビジネスアリーナ展示会には20社を超える組合員事業所が有志参加し鍍金業界の高い技術力を強く発信しています。
経営面においては同じく全国鍍金工業組合連合会と共に中小企業経営基盤強化事業などを実施し、企業の合理化、税制上の恩典等国の支援を取り込んでおります。
これからも、環境保全は地球環境の課題として年々厳しさが増してきております。一企業の対応では困難な状況に思います、そんな状況の中だからこそこれからも鍍金産業の発展に組合員一同更なる力を注いでいく所存であります。
最後に、私ども組合も50周年を迎え重ねて関係各位の皆様に感謝と御礼を申し上げ、今後ともご理解、ご協力をお願い申し上げます。
●8代理事長 小林 満(H25年5月~H27年4月)

私の記憶では今の新都心駅の近くの小さな事務所に、この組合の創設者の方々が連日のように集まっておられ、何やら相談をされていたようで私の父に毎日のように送って行かされたことを思い出します。
その頃まだ私は学生で業界のことはよくわかりませんでしたが、国中が公害防止ということに必死に取り組み始めた時期でした。
矢面に立たされたのがこの業界で矢継ぎ早に様々な規制がかけられ、大変な苦労をしているのがみて取れました。それからほどなく設立をされ、当初は様々な規制に対する対応を業界あげて取り組んでいました。組合の事業も当初は排水処理技術の講習会、研修会一辺倒だったと思います。
その後努力の甲斐で公害問題も一段落し、高度経済成長の波の中現在の事務所を構えるに至った。
幾多の波を乗り越えてきた業界が経済のグローバル化という波に苦しめられ、
デジタル化という全く異次元の時代に突入している今、柔軟な思考ができる若い人材が自由な発想でこの業界を支えて行ってくれるものと期待しています。
この先のさらなる発展を願っております。
●7代理事長 仁科 俊夫(H23年5月~H25年4月)

2008年9月に吉田理事長が任期半ばで急逝され、ピンチヒッターとして理事長に選出されました。 それまで委員長経験もなく準備不足、さらに当時は弊社伊奈工場の立ち上げの時期と重なり副理事長、専務理事等のスタッフにご迷惑をお掛けし、事務局にも詰める事がままならなかったことをこの場をお借りしてお詫び申し上げます。 にもかかわらず、各委員会の皆様が決められた職務を全うしていただいただけではなく、組織の枠を超えた活躍をしてくださった方々に感謝申し上げます。 一例として、埼玉県の中小企業を中心として行われる展示会『彩の国ビジネスアリーナ』に初めて参加し、懇親会等も含め大盛況のうちに終了しました。 その後毎年出展し年々企画設営に工夫を凝らし、他の出展業者からも評価を得て「鍍金組合は今回はどんな・?」と注目を集めて存在感を増しております。 また、組合の事業として行われる研修旅行も本来の目的である技術の向上を目指して日本各地の最先端の技術を持った優良事業所を訪問することができ、しっかり勉強して刺激を受けて将来に向けての参考にさせていただきました。 これらの活躍が起爆剤となり日本各地から評価されて、全国の青年部を対象として横の繋がりを大切に網羅した交流、親睦、情報交換を目的に『未来を担う若手の集い』に発展していったものと理解しております。 僭越ながら、全国的に見ても少ない自前の組合事務所を所有し技術研修センターも併設されている優位性を活かし、産総研等の公設研究機関等の協力を得て我々の将来を見越した何かがができるのではないかと考えております。 最近話題になっている『ダーウィンの進化論』を引用させていただきます。 生き残りをかけて変化するのではなくて、たまたまある環境に適応したものが生き残れるのであって、変化しない方が有利な時や、生き残りに不利になってしまう変化もあるやに聞いております。 われわれの組合は不利な変化をするのではなくて柔軟な対応により、結果的に『進化』したと言われるよう期待いたします。
●6代理事長 吉田 勇(H11年5月~H20年9月)

昭和40年に創立された埼玉県鍍金工業組合も、半世紀を過ぎ創立50周年を迎える事となりました。 30周年の時に実行委員長として記念誌にあいさつを書き、40周年の記念誌には理事長として挨拶を書いた私の父は、2008年の9月に他界いたしました。 当時、組合の総会を終えて間もなく検査入院となった父は、既に会社の代表を引き継いた私に会社の事は一言も聞かず、『組合から何か連絡あったか?』『全鍍連からFAXは来てないか?』と、いつも聞かれたことを思い出します。 そして今回、創立50周年記念事業の実行委員長という大役を息子の私が務めさせていただくにあたり、当時父がどのような気持ちでこの役を勤めていたのかと考えながら楽しくやらせていただきました。つたない委員長ではございましたが、委員会の皆様の多大なるご協力のもと盛大に式典が行うことが出来ましたこと厚く御礼申し上げます。 業界に対しての思いの強かった父がいなくなってから、10年あまり経過した今、組合員の減少や、リーマンショック、度重なる自然災害などいろいろなことがございましたが、それら苦難を乗越えて50周年という節目を迎えられたこと、たいへん喜ばしいことと思います。 創立40周年記念誌の父のあいさつに、「鍍金組合の歴史」イコール「環境対応の歴史」と記されておりましたが、この10年間は環境対策はもちろんのこと、それにプラスして自然災害に対しての備え、また不安定な経済状況に対して対策も考えねばならず、我々の経営環境は激変してまいりました。 ここ数年の異常気象も含め、我々中小企業の経営環境は過去にない大変な状況下にありますが、知恵を出し合い業界一丸となって乗越えていければと思っております。 終わりに、親子2代にわたってお世話になった諸先輩方々、そして組合50年の歴史を支えてくださった関係各位皆様のご支援に感謝申し上げるとともに、今後ともご指導、ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げ実行委員長の挨拶と致します。 代筆 50周年事業実行委員長 吉田幸司